「安かった」より「助かった」― 損得を抜きにしてきたことが、何年か経って返ってきた話

こんにちは、がくです。福島県白河市で肉屋「肉の滝沢」をやっています。

以前の記事「父の背中と「39」の心」で少しだけ触れた、「あの頃の子どもたちが、大人になって店に来てくれる」という話。今日はその話を、もう少し具体的にしてみようと思います。

目次

「安かった」と言われるのが、実は一番寂しい

長年商売をやっていると、お客様からいろんな言葉をいただきます。

一番嬉しいのは「助かった」「嬉しかった」という言葉です。逆に、正直に言うと一番寂しいのは「安かった」という言葉なんです。

「安かった」と言われる時、それはだいたい自分が身を削っているか、仕入れ先に無理を言っているかのどちらかです。値段だけで喜ばれても、誰かが損をしている。それは自分にとって、あまり嬉しいことではありません。

一方で「助かった」「嬉しかった」は、値段の話じゃなくて、その肉やその時の対応が、その人の暮らしのどこかにちゃんと届いた証拠だと思っています。今日は、そういう「損得抜きでやってきたことが、何年か経って返ってきた」エピソードをいくつか紹介します。

12月24日、山道を歩いてくる人たちのための豚汁とローストチキン

毎年12月24日、目の不自由な方のための「音の出る信号機」を求めて、郡山市を拠点に白河・いわき・会津・福島などから歩いて活動するボランティアがあります。当店はその中継地点の一つとして、10年以上前から歩いてくるメンバーの方々に豚汁とローストチキンを無償で提供してきました。

10年以上前、その活動に中学校の野球部の子どもたちと父兄が参加し、10数キロの山道を歩いていたことがありました。当時はまだ中学生だった子が、今では立派な大人になって、中学校の教師として頑張っているそうです。

その子が数年前、お惣菜を買いに当店にふらっと立ち寄ってくれました。そして、あの時の山道の話を懐かしそうに話してくれたんです。損得を考えて始めたことではありませんでしたが、こうして何年も経ってから、思わぬ形で返ってくることがあります。

受験前の願掛けチキンカツ

もう一つ、続けていることがあります。中学校の受験前になると、毎年「試験に勝つ」の語呂合わせで、チキンカツを無償で提供しています。

これも、数年後にその子が大人になって、また食べに来てくれることがあります。当時は覚えていないだろうと思っていても、「あの時のチキンカツ、食べました」と言ってもらえると、続けてきて良かったと心から思います。

田舎に帰ってきて、うちを覚えていてくれること

こういう話は、実はままあります。進学や就職で一度は町を離れた方が、田舎に帰ってきた時に、当店に立ち寄って懐かしんでくれる。これは商売屋にとって、これ以上ない冥利に尽きる瞬間です。

損得を度外視してやってきたことの多くは、その場では何の得にもなりません。それでも、何年後かに誰かの記憶の中で「あの店」として残り続けて、こうして戻ってきてくれる。そのことに、長く店を続けてきた意味を感じています。

損得抜きでやってきたことが、巡り巡って返ってくる

もちろん、商売である以上、収益は大事です。利益がなければ、店を続けることも、こうしてボランティアやチキンカツの無償提供を続けることもできません。

ただ、収益だけを追いかけていたら、たぶんこういう話は一つも生まれなかったと思います。お客様にとっての「助かった」「嬉しかった」というベネフィットがあってこそ、初めて商売は長く続けられるものになる。そう思っています。

長年店をやっていると、時には、その人にとって人生で最後になるかもしれない食事を、当店の肉で家族と囲んでもらうこともあります。そういう瞬間に立ち会わせてもらえることも、損得を超えた場所にある、この商売の本当の意味なのかもしれません。

「安かった」より「助かった」と言ってもらえる店であり続けたい。これからも、その気持ちを大切にしていきたいと思います。

この記事はAIツールを活用して作成しています。詳しくはAboutページをご覧ください。

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